「キャラクター絵画について」感想

9.08~9.17にかけて開催された展覧会「キャラクター絵画について」を見に行った。

テーマ自体が現代美術における”キャラクター絵画”の位置を探るような物であった故に、非常に展示自体の輪郭がつかみ易く、またパープルームギャラリーが過去に行ってきた、地域に根差したギャラリーとしての試みと照らし合わせることで、キャラクター絵画の変遷をほとんど知らない自分でも、十分に楽しめた。

出不精なもので、県外に出向くというのは久しぶりであったこと、そして相模原という街に佇むギャラリーを見て、地方各地に点在するギャラリーという空間が、その街とどのように対峙してきたかという部分にも改めて考えさせられることになった。

今までにおける「キャラクターを用いたアート作品」(及びそれらの作家群)を一度整理する、という名目の展覧会でありながら、今改めキャラクターの持つ身体性にアーティストはどのようにして身を委ねていくのか、あるいはどう順応していくのかという、一つの問いが主体化されたようにも感じる部分があった。

カタログ『キャラクター絵画について』を読むと、初めに門眞妙さんが過去に描いてきた(2009~頃)「キャラクター絵画」のありようとその受容を軸に話が立てられる。つぎに他2名の作家の比較的「新しい」キャラクター絵画には、それぞれに独立したテーマが設定されており、ペロンミさんは絵画の「線」から匿名性、ないし身体性を読み取り、作者自身が身に纏う「キャラクター」とのつながりを示唆する。一方川獺すあさんではまず初めに3人の出身地である「東北」と、その地で発展してきた地域における芸術について語られる。

また、アートvsオタクの対立、カオス*ラウンジについての記述も書かれていた。自分は当時の騒動をあまり知りえないのだが、2004,5年頃の美大の卒業制作では到底受け入れられなかったような、キャラクターの絵画がなぜ今受け入れられるに至ったのかといえば、元々pixivや個人ブログなどのプラットフォームに点在していたキャラクターたちの絵画にカオス*ラウンジが介入していき、それらが強力なコミュニティを形成するようになり、その時期にキャラクターを用いた絵画そのものが美大において受け入れられるようになっていった、という話はアートvsオタクの対立構図においてアート側から語られる重要な話にも思えた。

加え日本の現代美術史におけるオタク vs 現代アートの軋轢を無視しないということが強く強調され、この文脈を引き継ぐことが明確に考えられていたようにも感じた。

川獺すあさんが冷酷な目線でキャラクターを描いている、という話も興味深かった。キャラクター絵画に使われる「解体」にみても、例えば相磯桃花さんの用いる「解体」の手法に近しいものを感じても、実際は人によって全く異なる意図と動機により解体という手法が取られていることが分かる。

門眞妙さんの絵は「中心」を強く意識していると語られ、これがADV(アドベンチャーゲーム)に影響を受けている(かもしれない)という話は個人的に響くものがあった。(ADV的な一人称の表現は誇張的で、かつフィクショナルであり、それが各方面に影響を与えるのはとても面白い)


最後に、特に印象に残ったものについて、『キャラクター絵画について』門眞妙/インタビューから「キャラクター絵画というものは無自覚にキメラ的であるし、たとえば自分はキャラクターのポージングを従姉妹と叔母に手伝ってもらっていて、これもキメラ的といえる」という話と、「(絵には)生々しさが必要だと思っていて、現実では人によって手や足は違う。耳を描くことも大事にしていて、耳はグロテスクな形だし内臓に通じる穴でもあるから、人物に内臓があり血が通っていることを暗に示すことができる」という話だった。

本企画はシリーズ化の構想が立っているとのことで、次回も見に行きたい。