バイナリアートとは何か?――ドット絵、お絵かき掲示板、うごくメモ帳をめぐる包括的概念の改訂

本稿は「ピクセルアート」「ドット絵」と呼ばれる視覚的表現の美学的定義とその課題点に向けて、既存の概念を改訂し適応と修正を図ることを主とした論文です。ただし、正式な指導あるいは査読などのレビューが行われていないため、ところどころ理論におかしい箇所があると思います。加えて、校正も不十分ですが、もともとはブログの記事として投稿する予定だったため、ここに公開させていただきます。

追記: 2023.12.18 PDFを公開しました。こちらのリンクからダウンロードすることができます。また、章番号の誤植を修正しました。

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バイナリアートとは何か

1. はじめに

 本稿の目的はdotpictによって提唱された視覚表現であるバイナリアートを、より明瞭な定義に改訂することにある。
 本稿が再定義するバイナリアートとは、既存の概念を踏まえて作られた言葉である。その概念は、主にピクセルアートのコミュニティ内でピクセルアートと対置するように使われてきた。しかし、その概念は非公式的な言葉である。また、バイナリアートとその概念は指し示す範囲が少し異なっている。これまで、その概念はピクセルアートに当てはまらないが、ピクセルによる表現を取り入れた、一部のデジタル画像を指す言葉として使用されてきた。また、その概念の名称は適切ではなく、一部でしか使われていない。議論を行う前に、ピクセルアートがなにかということを示さなければならない。

1.1 先行研究

 本稿の関心と近い先行研究として、Olli Heikkinenの「Hi-Bit Pixel Graphics : The New Era of Pixel Art」が挙げられる(Heikkinen 2021)。Heikkinenは直近10年のピクセルアートが用いられたゲームを提示し、高解像度のピクセルアートの分析を試みている。Heikkinenは高解像度のピクセルアートをハイビットピクセルアート(hi-bit pixel art)と呼び、その制作過程を説明しながらビデオゲームにおける現代のピクセルアートの発展を説明する。ハイビットピクセルアートとは、『Owlboy』(D-Pad Studio, 2016)のプログラマーであるJo-Remi Madsenによって提唱された言葉である。
 Heikkinenは、理論的には、ハードウェアの制約がない現代のピクセルアートのゲームは、全てハイビットピクセルアートであると言い、今日のピクセルグラフィックスに対する制約は、目的のもと自己に課せられるもの(Heikkinen 2021)と述べている。
 他の先行研究に、美術評論家のgnckによる「画像の問題系 演算性の美学」が挙げられる(gnck 2014)。こちらは学術論文ではないため参考文献が引かれていないが、ドット絵の美に加えて「お絵かき掲示板」などの、ピクセルが肉眼で視認できる程度の解像度によるビットマップ画像を取り扱っている。gcnkの主な主張は以下の通りである。

ドット絵と呼べないほど巨大なビットマップ画像は「中解像度」であり、ピクセルのギザギザ、「ジャギー」があからさまになっている箇所が、画像をビットマップ画像であることを明らかにする。

1.2 高解像度のピクセルアートとは何か

 Heikkinenは、高解像度のため従来の2Dグラフィックスに見える可能性があるが、ピクセルアートのゲームと見なされている『Iconoclasts』(2018)の例を出す。ピクセルアートを取り入れていると見なされるゲームの一般的な認識は、画面上の個々のピクセルが識別できる場合であると述べる。一方で、日本語のドット絵の場合、「打つ」や「置く」、低解像度といったイメージがより強く、「高解像度のドット絵」という言葉自体に、違和感を覚えるケースも少なくない。「ドット絵のゲーム」を指すとき、より限定的な制約のもと作られた、旧来のゲームを真っ先に思い浮かべることもあるかもしれない。一方でHeikkinenが示す通り、海外を中心としたインディーゲームには、高解像度のピクセルアートによるゲームが数多くある。
 ここまで、ドット絵とピクセルアートが異なるかのように話してきたが、言葉としてドット絵とピクセルアートの意味は全く同じである。現代では英語のピクセルアート(pixel art)と日本語のドット絵は翻訳が可能、つまりほぼ同一の意味を持ち、交換可能な言葉である。
 gcnkは「中解像度」(400×400)にあたる画像はドット絵と呼ぶことが出来ないと主張する。そうすると、Heikkinenの述べる一般的なピクセルアートの認識と食い違いが発生する。ここでの問題は、ドット絵とピクセルアートの言葉の違いではなく、高解像度のピクセルアートを「ピクセルアート」として含めることが可能か不可能かという意見の相違である。最大の違いは、Heikkinenは現代のビデオゲームにおけるピクセルアートを取り扱うが、gcnkはビットマップ画像におけるドット絵を議題としている点にある。Heikkinenは、現代のビデオゲームにおいてコンピュータグラフィックスが進化し続ける限り、ピクセルアートがどこまで進化できるかに制限はない(Heikkinen 2021)と述べる。実際にインディーゲームでは、3D表現などを取り入れることもある。ピクセルアートの表現がより発展を遂げていることは事実だろう。一方で、gnckはビットマップが最小であるという観点から、ビットマップ画像におけるドット絵について述べている。単純な比較はできないが、ピクセルアートは様式や技法という点から語られる方がより自然かつ、一般的な見方だろう。とはいえ、高解像度のピクセルアートを認めないという考えもまた、普遍的に存在する。技法を極端に重視すれば「ピクセルアートはすべて一つずつピクセルを配置しなければならない」とか、歴史性を強く取れば「一定の解像度以上のピクセルアートはピクセルアートではない」と過激に主張することもできる。
 規模の内情は異なるとはいえ、国内にもインディーゲームの市場は存在している。例として『溶鉄のマルフーシャ』を取り上げよう。
 『溶鉄のマルフーシャ』は2021年にリリースされたインディーゲームであり、2.5D的な表現とドット絵を取り入れたシューティングゲームである。図の画像はトレーラーのカットで、CGは高解像度だが、ピクセルで表現されていることが一目見て分かるだろう。しかし、図の画像が「ピクセルアート」とされることに違和感を覚えるユーザーも存在する。ピクセルで描かれたグラフィック(イラスト)と、伝統的なピクセルアート(ドット絵)は区別されるべきという主張が展開されることさえある。

図1 『溶鉄のマルフーシャ』のトレーラー

 『溶鉄のマルフーシャ』がドット絵を謳っている以上、ピクセルアートのゲームであることは間違いない。問題は高解像度なピクセルアートが、ピクセルアートなのかピクセルアートではないのかという議論を呼び起こす点にある。分けて考えるべきという考えはどこから生まれ、それは何をもって判断されるのだろうか。そして仮に、こうした作品がピクセルアートではないとすると、それらはどのようなカテゴリーに属すのだろうか。今のところ、従来のピクセルアートの形式らしさがないような、ピクセルで描かれたグラフィックやイラストに対して、正式な名称は付いていない。何よりも問題と言えるのが、こうした様式が「ピクセルアート風」や「偽のピクセルアート」とカテゴライズされることにある。

1.3 本稿で明らかにすること

 「dotpict」というコミュニティサービスおよびドット絵制作ツールが存在する。そこでは「ドット絵」のみの投稿が許可されているが、ドット絵がどのような作品や特徴を示すかという説明は、ガイドラインや規約でさえ述べられない。その代わり、ガイドライン上で、投稿してもいいドット絵の具体例が2つ提示される。それは「ピクセルアート」と「バイナリアート」である。本稿では後者のバイナリアートについて取り扱う。これまでの部分で述べた、高解像度なピクセルアートにおける分類をめぐる問題に対し、バイナリアート概念を適応することで、既存のピクセルアート概念の条件を維持したまま、ピクセルによる表現に一定の価値を与えることができる。そのため、バイナリアートの成立過程と条件を明らかにし、バイナリアート概念をよりよい定義に修正することを目指す。

1.4 本稿の構成

 本稿の構成は次のようになっている。2章では、視覚表現としてのピクセルアートの条件を説明する。3章では、dotpictが用いる3つの言葉を説明した上で「2値絵」という概念を導入し、それがピクセルアートと対置される関係にある事例を考察する。4章では、いくつかのゲームやイラスト作品を具体的な例として取り上げ、ピクセルの普遍的な美を主張する。最後に、バイナリアートの定義を行う。5章で、これまでの議論をまとめる。

1.5 用語

 特に記載がない限り、これらの用語は次の用例を意味する。

ゲーム:ビデオゲーム
デジタル画像:カルヴィッキの提唱する、記号がデジタルである画像
ピクセルでの表現:肉眼で識別可能なピクセルによるグラフィックもしくはイラスト表現
2値絵:2値ペンで描かれたデジタル画像

2. ピクセルアートとは何か

 バイナリアートという言葉を明らかにする前に、ピクセルアートとはなにかを説明する必要がある。というのも、バイナリアートという概念を導入したdotpictは、ドット絵制作ツールおよびコミュニティサービスである。バイナリアートはピクセルアートにおける文脈から生まれた用語であり、ピクセルアートの条件と意味を提示しなければ議論を進めることはできない。バイナリアートという言葉の成立過程を明らかにしないと、孤立した用語になってしまう。

2.1 ピクセルアートの説明

 「ピクセルアート」もしくは「ドット絵」と呼ばれる視覚表現がある*1。ピクセルアートは、初期のビデオゲームやコンピュータなどで技術上の制約により、1990年代半ばに至るまでほとんどのグラフィックに用いられる主な画像表現であった。そのため、「画素レベルで表現されるディジタル画像表現のひとつであり、その表現方法を用いて制作された画像」(滝本,2012)とも説明されるが、近年ではコンピュータやゲームにとどまらず、芸術表現の一形態としても認知・受容されている。ピクセルアートを用いたグッズなどが販売されることも多い。国内ではシブヤピクセルアートといった、いくつかのイベントが定期的に開催されている。単なるゲームのグラフィックやデジタル画像に限定されることなく、独立した絵の様式として親しまれている。

2.2 ピクセルアートの美学的定義

 ピクセルアートとは何かという問いを立てる時、ピクセルアートが共通で持っている特徴を探り、ピクセルアートの定義についてある程度明確な見解を示す必要がある。本節では先行研究や既にある見解をベースに、ほぼ形を変えずに採用する。
 松永(2019)によると、ピクセルアートの特徴は「ピクセルを少しでも変えると絵の内容が変わってしまうという意味での重要さ」というピクセル自体の重要さと「ピクセルが肉眼で識別可能」、つまりピクセルアートの単位であるピクセルが目で見分けられるか(松永,2019)という2つの重要な見解を提示する。ピクセルアートの一般的な特徴を理解するだけならこれだけで十分かもしれないとしつつ、カルヴィッキの画像の4条件を参照しながら、より明確なピクセルアートの定義を示している。

 松永は前述したピクセルアートの単位について、以下の条件を定義する。

ピクセルアートの単位は、おおむね以下の特徴を持っている。
a. 正方形またはそれに類する形状をしている。
b. 互いに大きさが等しく、かつ、碁盤状の縦横グリッドに沿って配置される。
c. 単位ごとにひとつの色を持つ。

 松永はピクセルアートの本質的な条件とはbであると強調する。三角形や六角形を単位にして絵を描くことはできるが、それは「ピクセルアート」とは別の名前で呼ぶべきだとする。単位の大きさが不揃いあるいはグリッドに沿っていない「ピクセルアート風」のものは気持ちが悪く、単位の均一性と縦横の整列性がピクセルアートに不可欠の特徴であると主張する(松永, 2019)。かつピクセルの重要さとは、カルヴィッキの画像の4条件の一つである「統語論的敏感さ(syntactic sensitivity)」に当てはまる(松永, 2019)。その上で、松永は以下のようにピクセルアートを定義する。

「ピクセルアートとは、それを構成する単位が肉眼で識別できるかたちで分節化された、統語論的敏感さが相対的に高い画像であり、かつ、その単位が上記のa~cの条件を満たすものである。ここで画像とは、カルヴィッキが示す4つの特徴を持つ記号である。」(松永,2019)

 本稿では概ね、松永のピクセルアートの定義に従う。とはいえ、肉眼で識別するといった個人で判断を行わなければいけない箇所もある。この点についても松永は触れており、単位の認識可能性をどれだけ強くとるかは選択の問題であり、それらは「追加条件のオプション」とする。もう一方で「描き方」をピクセルアートの定義に組み込むかというオプションもあるが、それは「どちらがより便利な定義か」という問題であって、目的に沿ってピクセルアートの範囲を選べばいい。最後に、これらの線引きをするための概念を用意しておくのは重要であると述べる(松永,2019)。
 この定義は、ある程度一般的なピクセルアートのイメージに沿うものだろう。頻繁に議論される部分は、おそらくピクセルアートの追加条件のオプションに相当する。美学的な特徴としてのピクセルアートはこの定義で十分かと思われる。枠組みとして問題はないが、後の4章で述べるように、ピクセルアートの単位がある程度破られることもある。
 また本稿では、カルヴィッキによる「統語論的敏感」という用語も採用する。統語論的敏感とは、画像において、記号の少しの変化が内容に違いを生む敏感性のことである。ここで統語論とは、「画像に関与する性質」のような意味合いである。

2.3 ピクセルアートのサブカテゴリー

 前節では本稿で取り扱うピクセルアートの定義について説明した。ここでは、ピクセルアートのサブカテゴリーについて説明する。後述するバイナリアートがピクセルアートのサブカテゴリーに当たるのか、全くのカテゴリーの外にある概念なのかを議論するため、前提としてピクセルアートのサブカテゴリーの説明が必要である。ピクセルアートが芸術表現の一種として認知されていることからも分かるように、ピクセルアートには、既存の芸術表現と同じようにサブカテゴリーがある。
 たとえば、立体を斜めから見た視点で表示するアイソメトリック図法を取り入れた、アイソメトリックピクセルアートは、『SimCity』シリーズなどに代表される、伝統的なゲームのグラフィック表現でもある。ゲームに3D表現を取り入れるかというオプションも、サブカテゴリーに相当するだろう。一方で、派生ジャンルには立方体を一つの単位として並べ三次元空間を作るボクセルアート(voxel art)があり、これを取り入れた著名なゲームに『Minecraft』がある。ゲームに限らず、海外では『Hexels』という、正方形以外の形状でピクセルアートを作成することができる専用のペイントソフトが登場している。
 では、バイナリアートはピクセルアートのサブカテゴリー、あるいは派生ジャンルに分類されるのだろうか。バイナリアートの位置するカテゴリーと、ピクセルアートとの関連性については3章で議論する。

3. 「バイナリアート」をめぐって

 「バイナリアート」とは、ドット絵制作ツールおよびコミュニティサービスである「dotpict」を運営するドットピクト合同会社によって定義された、視覚表現の名称である、とひとまず認識しておこう。というのも、現在の段階でバイナリアートという言葉の出拠は、dotpictのガイドラインのなかで、用法と定義がたった数行で説明されるのみに留まるからである。現時点では、dotpictのコミュニティ内で使われる用語としてのイメージが強く、広く定着した言葉とは言えない。一般的には、まだ視覚表現のひとつとして認められていない概念であり、十分にカテゴライズや検証が行われていない「力を持たない言葉」として、今にも消滅の危機にある言葉である。しかし、バイナリアートはdotpictの手によって完全に新設された概念とはいえない。なぜなら、明らかに既存の概念を踏まえて作られた言葉と見てとれるからである。
 「バイナリアート」という言葉は2023年1月頃にX(旧Twitter)を始めとするSNS上で話題を呼び起こした。発端としては、ドット絵とCG(コンピューターグラフィックス)の境界を考えるとき、dotpictの「どんなドット絵を投稿すればいい?」というページに記載された各例が役に立つという趣旨の投稿である。

図2 dotpictの説明を取り上げた投稿(X)

 図2では、通常の画像にモザイク加工や、ピクセル化を施すツールを使用した作品や、低解像度に縮小しただけの画像はピクセルアートではないとする例が提示されている。これがピクセルアートを知るユーザーのなかで、既にあったピクセルアートの認識と、ある程度合致するものだったことで、ピクセルアートと非ピクセルアートを示す画像として拡散された。ピクセルアートの概念が普段あまり明示化されないという点で、この画像は一定の価値があったと言える。一方で、より話題の中心となったのは、ドット絵に類型するものとして「バイナリアート」という独自の概念が導入されている部分である。作品を特徴づけ「バイナリアート」という概念をピクセルアートの作品に当てたのはdotpict独自の試みであり、ピクセルアートの類型化にこの語を用いたのもdotpictが初めて行ったことだった。
 このバイナリアート概念は、ユーザーの間でも大きく意見が分かれた。「新しい用語を導入することがピクセルアートの定義を狭める」としてピクセルアート概念の拡張に異を唱える批判的な意見が目立った一方で、例に出された特徴を持つ作品を、既にピクセルアートと区別ないし類型化していたユーザーは、より統一的な用語が提示されることを肯定的に捉えた。
 一方でdotpictが示すピクセルアートの定義づけに関して、「しっくりこない」といった直観的な意見も散見された。ひとつのコミュニティサイトが概念を定義する行為に不快を表明するユーザーや、「描き方」の技術をめぐって異を唱える意見も主張された。こうしたdotpictの試みに対して、dotpictのサービスの性質上、ピクセルアートを細分化して明確な基準を設ける必要があったと解釈する言説も見られた。
 ピクセルアートの定義に関して賛否が分かれたのは、2章で提示したピクセルアートの条件のようなまとまった定義が、少なくともSNS上では共有されておらず、また画像元およびdotpictでの説明が不完全であったことが直接的な原因に思われる。
 dotpictは「ピクセルアートとバイナリアートはドット絵の最たる例」であることを示す。しかし、今日ではピクセルアート(pixel art)とドット絵は交換可能であり、ほとんど同義的な言葉として解釈されることがふつうである。なぜそのような不可解に思える説明を、サービスの規約にあたるガイドラインに取り入れたのか。その思慮は「ピクセルアート」と「バイナリアート」を定義づける一方で、「ドット絵」がなにを指し示すのかを――おそらく恣意的に――説明していないという部分に見出せる*2
 dotpictは一般的なピクセルアートの認識を「ピクセルアート」と「バイナリアート」に分けようとしたのだろうか。dotpict内で一般的なピクセルアートを指し示す言葉は、「ドット絵」なのだろうか*3。実際のところそう明記されていない限り、答えは分からないし、ユーザー側に意義を解釈させているに過ぎない。そういったユーザーに解釈を求めることが、コミュニティ内部でしか機能しないのは明らかである。だが、バイナリアート概念を提唱したことは、一定の価値を見出すことができる。

3.1 dotpictの3つの概念

 「dotpict」は、「スマートフォンでも描きやすいドット絵制作アプリ」というコンセプトを掲げ、2014年にAndroid版、2015年にiOS版がリリースされたスマートフォン向けアプリである。SNSとしてのサービスにも力を入れており、当初はなかったタイムライン機能といったSNSの機能を取り備え、今では「ドット絵好きのためのSNS」と言えるほどの規模に成長した。シンプルなピクセルアート作成ツールから「ドット絵好きのためのコミュニティサービス」という方針を強め、発展を遂げたサービスである。PCでの利用にも対応しており、dotpict以外で描いた作品の投稿も可能である。
 「dotpict」で作品を投稿するさいに表示される「どんなドット絵を投稿すればいい?」では、投稿ができる2つの作品と、投稿をしてはいけない4つの作品の例が提示される*4。これと同様の記述がdotpictのガイドラインの「投稿できる/してはいけない作品の例」の項に書かれているため、そちらを参考に見る。

図3 dotpict public pagesのガイドラインから

図4 同上

 例のうち、図3の投稿が可能である2つの作品が「ピクセルアート」と「バイナリアート」、図4の投稿をしてはいけない4つの作品が「ドット絵変換」「画像の縮小」「お絵描き」「写真」と、ひとつの原形からなる絵が6つに分類され、それらの詳細な説明が行われている。ここで、「各絵の定義はdotpict内におけるものであり、広義に定められたものではありません。」(dotpict,ガイドライン)として、上記の6つの絵の説明は、あくまで「dotpict」内における定義であることが補足されている。dotpict内から直接閲覧できるガイドラインにはこれらの例は省かれているが、外部サイトである*5「dotpict public page」のガイドラインの項にある、「投稿できる/してはいけない作品の例」で詳細を確認することができる*6
 dotpictアプリ内で表示される「どんなドット絵を投稿すればいい?」は、ガイドラインについて追加的な補足があるが、ガイドラインの「投稿できる/してはいけない作品の例」の内容とほぼ同じである。そのため、本節以降でdotpictが公式に使用する「ピクセルアート」「バイナリアート」「ドット絵」を扱うとき、基本的に「dotpict public page」のガイドラインに記述された用語と説明を参照する*7。加えて、各用語に括弧が付く場合、dotpict内における用語を指す。

3.1.1 「ドット絵」

 dotpictは、ガイドライン上の作品の投稿に関する取り決めで、「ドット絵」のみを投稿可能とし「ドット絵」以外の作品の投稿を禁止している。こういったガイドラインでの取り決めは、ふつうドット絵のような概念の必要十分条件を(ある程度は)提示しなければならない。しかし、dotpictは「ドット絵の定義は幅広く、dotpictでは明確に定義することはしません」(dotpict,ガイドライン)として、「ドット絵」がどんな特性や特徴を持っているのか説明しない。
 非公式な場であればそれでいいが、「ドット絵」の特徴や定義を明記しないことは、サービスの規約の規定という観点からすれば問題である。というのも、その場合ガイドライン上の「ドット絵」に関する取り決めに整合性がなくなり、規約としてまともに成立しなくなるためである。
 一般的なピクセルアートのイメージをそのまま「ドット絵」に置き換えているとも捉えられるが、それだけでは人の持つ主観的なイメージに頼って規約を取り決めていることになるため、これもまた取り決めに整合性を与えるものではない。
 Web版のdotpictに、2021年6月頃のアップデートによって画像の投稿機能が実装されるまで、おそらく「ドット絵」に関する取り決めに重大な問題はなかったといえる。というのも、作品を投稿する手段はアプリ内の解像度の制限されたキャンバスで絵を描くのみであり、ピクセル変換を施した画像や、通常のイラストなどの投稿は不可能だったためである。実際、ガイドライン上の取り決めでもそういった残痕が見られる。

図5 ガイドラインのドット絵に関する項目

図5のガイドラインに、「128x128のキャンバスで棒人間、顔文字だけなどを描いて投稿するのは禁止です」と記述があるが、「128x128のキャンバス」と不自然にキャンバスサイズが限定されている。時系列をたどると、2019年までの最大キャンバスサイズが128x128であり、ガイドラインもまた2019年に作成されたことから、少なくとも2019年以前の取り決めであったことが推測できる*8
 そういった点で当時の問題は、ピクセルアートか非ピクセルアートかという点になく、絵として十分に認識されるかという基準と、コミュニティの規範という観点で十分だったと見ることができる。2章の定義に従えば、解釈によっては棒人間やテキストを装飾した顔文字をピクセルアートとして認識することも可能だろう。だが、問題は「ドット絵」かどうかではなく、たとえば単に書き写しただけの顔文字ないし文字や、落書きのように量産される簡素な線で作られたキャラクターによる作品の氾濫を、コミュニティの規範という規定で防ぐ目的にあった。
 では画像の投稿機能を実装するにあたってどのような問題が起きたのか。まず「ドット絵」をアプリのキャンバスという制約で取り決めることが不可能になった。画像のサイズに制限こそあるが、システム上はどんなイラストや写真でも投稿することが可能である。「キャンバスで描いた作品」から「画像全般」と適応範囲があまりにも広がってしまったことで、「絵として十分に認識できるか」「コミュニティの規範から逸脱していないか」という主観的な規定は、もはや効力を失ったのである。
 この「ドット絵」の取り決めに関する整合性を保つため、おそらくその時期に取り入れられたのが「投稿できる/してはいけない作品の例」の提示である。本格的にdotpictに画像の投稿機能が実装されたのがいつかは分からないが、Web版に試験的という形で実装されたのは2021年6月である。また、今の使用と同一な「バイナリアート」という言葉がSNS上で使用され始めたのは、現在確認できる限り2021年9月である。投稿機能が追加される直前に、dotpictの公式アカウントが「ドット絵以外のものを投稿しないように投稿画面の注意書き等は徹底していきます」(dotpict, X)と投稿した通り、2022年2月の段階で投稿画面に「どんなドット絵を投稿すればいい?」(多少今とは異なる)の注意書きが書かれていることが確認できる。「投稿できる作品の例」では2種類の作品、特に前者の「ピクセルアート」の説明は、一般的な人物が思い浮かべるピクセルアート像と大部分が合致するだろう*9
 こういった取り組みによって、「ドット絵」自体はほとんど意味を持たないが、例に出す「特定のスタイルが確認できる作品」が「ドット絵」であるとユーザーが解釈できる余地も生まれる。こうした点で、「ドット絵」にまつわるガイドライン上の取り決めには、多少なりとも整合性が与えられたのである。
 注意すべきは、dotpictの定める「ドット絵」が、例に出したピクセルアートやバイナリアートの上位カテゴリーないし上位概念にあたるという誤解である。あくまで、dotpictは「ドット絵」を“特定のスタイルを使用した作品”、あるいは一般的なピクセルアートのイメージをユーザー側に解釈させているだけに過ぎなく、“特定のスタイルをまとめる概念”という意図で「ドット絵」を使用していないことに留意する必要がある。そして上記の「バイナリアート」や「ピクセルアート」といった言葉を、dotpictは注意書きとガイドライン以外で使用していないことも重要である。つまり、dotpictからすれば「ドット絵」のためにバイナリアートやピクセルアートを定義しているだけに過ぎない。
 ここまでの部分で、dotpictの使う「ドット絵」自体は意味を持たないが、「投稿できる作品の例」の提示によって、ガイドライン上の「ドット絵」に関する取り決めにある程度の整合性が与えられていると述べた。ひとつの疑問として、ここまで述べた「ドット絵」は、2章で定義したピクセルアートの概念と同一および交換可能な言葉としてみなせるか? という問いが浮かび上がる。日本語の「ドット絵」と英語の「pixel art」は完全に交換可能な言葉であるからである。結論として、dotpictが用いる「ドット絵」はそれ自体意味を持たない言葉であるため、2章のピクセルアート概念と同一なもの(外延一致)とはみなせない。その一方で、公の場では「バイナリアート」や「ピクセルアート」を使わないように、使用例としては「ドット絵」がもっともピクセルアートという概念に近い。
 厳密な条件として、2章のピクセルアート概念に相当するものはdotpict内にあるだろうか。ここでは、「ピクセルアートとバイナリアート」がそれに当たると考える。「ピクセルアート」だけではないのは、「バイナリアート」が「ドット絵」に含まれていることにある。「ドット絵」自体は意味を持たないと述べたが、一般的なピクセルアートのイメージを担う言葉は「ドット絵」だからである。
 次項以降で、dotpictの「ピクセルアート」と「バイナリアート」を説明し、それぞれが2章で提示したピクセルアート概念と合致するかを考察する。

3.1.2 「ピクセルアート」

 dotpictはガイドラインで「ピクセルアート」を

dotpictやAseprite*10などのドットペンを使って描いた絵。1~数ピクセル単位で描く作業を繰り返し作成する。かつて色が制限された環境で誕生した表現方法であるため、必要以上に色を使わないことが多い。

と定義する。「作業」という部分が強調されているが、2章の描き方のオプションに相当する文言である。ピクセルアートの基準に、ピクセルごとに手打ちで一つずつ置いていく手法が採用されているかという部分で判断される場合がある。色数の制限や画像の解像度といった基準も一緒に採択されることがあるため、ひとまずこういった選択肢を「伝統的なピクセルアート」と呼んでおこう。dotpictの「ピクセルアート」の説明文は、おそらく伝統的なピクセルアートに近い意味である。厳密性はないが、「描き方」によって定義されている。こうした「描き方」による定義と、2章の視覚表現としての定義は少し異なる。そのため、あくまで説明部分は画像を補足する文として捉え、例に提示された画像を中心に既存のピクセルアートの条件と合致するかを試みる。提示された画像は、紛れもなく視覚的な表現だからである。
 松永の定義したピクセルアートの単位の条件と、ピクセルアートの定義(松永, 2019)を参考にすると、図6の画像はすでにピクセルアートの単位の条件を満たしている。定義についても、構成単位の肉眼での識別に加えてカルヴィッキの画像の4条件をクリアしている。こうした点で「dotpictのピクセルアート」はピクセルアートとして成立するだろう。アンチエイリアスあるいは滲みといったオプションは説明に取り入れられていないが、そういった機能はツールにないため、ガイドラインに記す必要はあまりないだろう。注意書きとして有効にはたらき、さらにはサービスを利用しないユーザーのピクセルアート像にもある程度沿った、真正(伝統的)なピクセルアートといえる。

図6 「ピクセルアート」(dotpict)

3.1.3 「バイナリアート」

 本章の初めに述べた通り、「バイナリアート」はdotpictが注意書きとガイドライン上で用いる独自の用語である。とはいえ、dotpictがその概念を定義づけたことによって、特に初めに取り上げた投稿が拡散されて以降、Xを中心とするSNS上で、dotpictにおける文脈と関係なく使用される例が、少しではあるが見受けられる。一つのサイトが名付けたイラストの分類の名称が公共の場で使用されることは、おそらくかなり珍しい。要因は後に述べるが、少なくとも何らかの既にあった概念を指す言葉として、既存の言葉よりもより有用、あるいは使いやすい言葉だったのではないか。まずは、dotpictの「バイナリアート」について分析を試みる。
 dotpictはガイドラインで「バイナリアート」を

dotpictやAsepriteなどのドットペン(2値ペン)を使って描いた絵。お絵かきのように描きつつも、ドット単位での表現を残している作品。

と定義している。この説明文を読んでピンと来る人はいるだろうか。ピクセルアートに親しみのある人なら「あれに名前が付いていたのか」となるかもしれないし、ゲームに親しみのある人なら何らかのゲームを思い浮かべるかもしれない。とはいえ、そうでない場合の方が多いだろうし、一般的なユーザーからすれば、図7の画像や説明を見て特定の何かを連想することは極めて難しいだろう。

図7 「バイナリアート」(dotpict)

 説明文でも「ピクセルアート」と同様に、描き方によって言葉が定義されている。「ピクセルアート」でも同様の記述があったが、ドットペンとはそもそも何だろうか。少なくとも、現実に存在する、ペン先が正方形状になっているマーカーペンのことではないだろう。例に上げられたdotpictとAsepriteの2つのピクセルアートの制作ツールは、キャンバスに絵を描くためペンが搭載されている。ピクセルアートの制作ツール全般に言えることだが、デフォルトのペンは「ピクセルを描く(置く)」ことが可能かつ、アンチエイリアスなどの画像処理が施されていないのが普通である。実際dotpictは、一般的なペイントソフトのような何種類ものペンはなく、デフォルトのペンのみが使用できる*11。ドットペンとは、「ピクセルを描くことが可能かつ、アンチエイリアスなどの画像処理が施されていない、ピクセルアートの制作ツールで標準的に搭載されるペン」と大雑把に捉えてもよいだろう。
 一方で「バイナリアート」は、ドットペンに加えて(2値ペン)と後に続く。2値ペンとは、デジタルイラストにおいて「アンチエイリアスやぼかしなどの画像処理が施されていないペン」のことを基本的に指す。MSペイントの「鉛筆」ツールや一部のペイントツールに搭載されている「2値ペン」がこの定義に当てはまる。

図8 『ペイントツールSAI』に標準で搭載されている「2値ペン」

 かつて掲示板や個人のサイトに設置されることが多く、「お絵かき掲示板」の名前で知られたペイントツール群に、標準で搭載されていたペンなどが上記の基準を満たしている。さらに言えば、先に述べた「ドットペン」も2値ペンである。2値ペンとは、「ピクセルを描くことが可能かつ、アンチエイリアスなどの画像処理が施されていない、一般的なペイントツールで標準的に搭載されるペン」と定義することができる。こうした点で、2値ペンを使って描かれた作品が「バイナリアート」と言えそうである。
 その上で一つの疑問が浮かぶ。ドットペンが2値ペンに含まれるのなら、「ピクセルアート」はむしろ「バイナリアート」に含まれるのではないか?という疑問である。こうした問いに答えるのが以下の2つである。1つ目は描き方にある。dotpictは「ピクセルアート」は「ピクセル単位で描く作業を繰り返し」とし、「バイナリアート」は「お絵かきのように描きつつ」というように「描き方」によって区分を行っている。とはいえ、そういった伝統的か伝統的でないかといった条件だけでは、規約上有効な意味を持たないかもしれない。もっとも重要だと考えられる2つ目に、おそらく均一な単位の識別性がある。直接その言葉がdotpictから出てくるわけではないが、「ピクセルアート」の定義に「ピクセル単位」、「バイナリアート」の定義の2つ目に「ドット単位」と単位が2種類に分けられているように、単位に関してなんらかの意味合いが含まれていると見て取れる。
 「均一な単位の認識」が「ピクセルアート」と「バイナリアート」をいかに区別しているかを示すにあたって、唯一参照できる箇所は提示された図7の画像だろう。まずは「バイナリアート」が、2章のピクセルアートの定義を満たしているかを明らかにする必要がある。

 2章で参照した松永によるピクセルアートの単位の条件、

a. 正方形またはそれに類する形状をしている。
b. 互いに大きさが等しく、かつ、碁盤状の縦横グリッドに沿って配置される。
c. 単位ごとにひとつの色を持つ。

を満たしているかの判断にあたって、「バイナリアート」の図7を拡大表示し簡易的なグリッドを追加した図9と図10の、2種の画像を用意した。図10は図9の画像をさらに拡大してグリッドを追加した画像である。(正確に拡大したわけではないため、多少のずれがみられるが、検証を阻害するような重大な問題ではない。)

図9 図7を拡大した画像

図10 図9の左下部分を拡大した画像

 図9の画像を見ると、aとcの条件は部分的に満たしている。ひとまず不揃いなものであっても、ここでaとcの条件を満たすものは「ドット」と呼んでおこう。とはいえ、2,4マスのようにグリッドに沿わない箇所があり、明確にbの条件を満たしていない。2,4マス, 2,5マスのドットが3×4のドットである一方、真下部分の2,6マスにあるドットは図10で分かる通り、3×3の茶色の正方形である。とはいえ、図10をみると、それがピクセルの集合によって描かれていることは明らかである。おそらく、拡大されていない画像図7を見ても通常のデジタル画像と違い、「ピクセルの集合」と一目で分かるのではないだろうか。その1ピクセルを「単位」と見立てると、少なくともピクセルアートの単位の条件自体は満たすことができるかもしれない。しかしその場合、単位を肉眼で識別することはやや難しい。
 不揃いな「ドット」をピクセルの単位として見る場合、明らかにピクセルアートとしては認められないし、一方で高解像度なピクセルアートと主張すれば、反論する術はあまりない。一般的な考え方は、単位の識別可能性という点で前者が採用されることが多い。とはいえ、肉眼でピクセルから構成されている絵であると分かるのは事実である。
 識別性、あるいは不揃いなピクセルの問題は、おそらく今後も続く議論のひとつだろう。詳しくは4章で述べるが、ピクセルアートの概念が抱える諸問題に向けて、何かしらの解決法を探らなければならない。
 dotpictの画像の提示を松永の基準に当てはめると、「ピクセルアート」の「ピクセル単位」とはピクセルアートの単位の条件a~cを満たした単位であり、「バイナリアート」の「ドット単位」はピクセルアートの単位の条件aとcを満たした単位であると解釈ができる。これは「ピクセルアート」が「バイナリアート」ではない理由の説明になる。ピクセルの認識によってピクセルアートとも捉えられる「バイナリアート」に対しては、規約として「ピクセルアート」と「バイナリアート」双方を「ドット絵」、つまり投稿可能な作品とする。つまり、dotpictで「ピクセルアート」と「バイナリアート」の明確な線引きは行われていない。これはバイナリアート作品などに向けて専用のタグが導入されていないように、あくまでガイドラインや注意喚起での働きを期待した線引きとも考えられる。
 ここまでの部分で、dotpictにおける「バイナリアート」の定義と、単位の認識が個人によって異なることを説明した。一方で、なぜdotpictが「バイナリアート」という概念を新しく作るに至ったのかという考察と、dotpict外におけるバイナリアートの使用についてはまだ述べていない。次節で、それらを明らかにするため、既存の概念を導入する。いくつかのイラスト作品やゲーム作品を例に出しながら、その概念を「バイナリアート」と比較する。

3.2 2値絵

 バイナリアートとは、少なくともdotpictがその語を使うまで、バイナリコードを用いてグラフィックスを描写するグラフィック表現から派生した、アスキーアートを指すような言葉だった。とはいえ、そのアスキーアートに正式な名前は付いていない。もっとも妥当だと考えられるのは「バイナリコード・アート」だろう。バイナリコードとは、プログラムや他の情報のため2つの記号体系を用いて表象するシステムのことである。コンピュータ言語を読み取る際に使われる、2進数で表した「0」と「1」のコードを指してバイナリコードとすることが一般的に多い。そのため、ここではコンピュータのプログラムの実行形式としてのバイナリコードを用いる。とはいえ、たとえば点字のような2つの記号を用いたものも、バイナリコードである。バイナリコードは「0」と「1」からなる2進数であることから、それぞれを黒と白のピクセルに対応することでコンピュータのグラフィックスを描写するために用いられてきた。こうしたグラフィックスの描写方法は「1ビット」や「1ビットアート」と呼ばれる。こうした「1ビットアート」が『スペースインベーダー』(1978)に見られるような、ピクセルアートの初期の例だった。

図11 バイナリコードを用いたグラフィックの例

 近年のインディーゲームのなかで、バイナリコードを用いたグラフィックスが取り入れられようとした形跡も見られる。最も成功を収めたインディーズRPGゲームのひとつである『Undertale』(2015)では、テキストファイルに用途不明の長いバイナリコードの文字列が存在していた。当初はこの文字列によってモンスターが塵になるグラフィックスの表現が行われる予定であったという。これはスプライト(キャラクター)を1ピクセルずつ読み込むよりも、データの計算量が少ないからだと推測されている。結果的には取り入れられなかったが、インディーゲームの軽量化にあたり、バイナリコードでグラフィックスを描写することが考慮されていたことは興味深いだろう。

図12 『Undertale』(2015)のテキストファイルに存在していたバイナリ文字列(ウィンドウのサイズが調整され、テキストの1の部分がハイライトされている)

 図12のようなバイナリコードからインスピレーションを得て、アスキーアートのような視覚表現の一種として描かれる作品がバイナリコード・アートである*12
 これまでの部分で、バイナリコードとバイナリコード・アートについての説明を行ったが、おそらくdotpictの「バイナリアート」はこれらを考慮して作られた言葉ではない。説明を行ったのも、語の混合を避ける目的にある。章のはじめに述べたように、「バイナリアート」は既存の概念を踏まえて作られたと推測ができる。その概念は「2値絵」である。
 「2値絵」という概念もまた、正式に定義された概念ではない。それに加えて、広義に使用されているとは言い難い。それでも、「バイナリアート」を理解するにあたって、2値絵*13という言葉がどのように使われてきたのかを理解するのは重要である。
 言葉通りに解釈すると、2値絵(2値ペン絵)とは「2値ペンで描かれたデジタル画像のイラスト」である*14。一方で、2値絵という言葉が、マンガやアニメーションを中心とした制作において、「2値化」という工程を踏んだ画像に対して使われる場合がある。これらの混合を避けるためにも、まずはマンガやアニメーションを中心とした画像における「2値絵」の使用例を説明する。
 近年のアニメーションの制作工程において、原画(元になる線)がアナログで描かれる場合、原画を2値化する工程が取り入れられる。アナログの原画をデジタルに取り込むと、線にアンチエイリアス(中間色)が発生するため、彩色のさいに困難が生じてしまう。そのため、取り込んだ線を白と黒の2色に変換する2値化処理を行うことで、塗りつぶしのような彩色が容易になる*15
 一方でマンガは、デジタルで描いた原稿*16を、紙に印刷する場合に2値化処理が行われる時がある。商業マンガは白と黒の2色のみを印刷する活版印刷を行うことが多いため、デジタルで描いたグレー表現や2値化されていない線が綺麗に再現できないためである。
 このような2値化という工程を踏んだ絵が2値絵と呼ばれることもあるが、それは2値ペンで描かれたイラストとは区別されるべきである。もちろんデジタルで描かれたアニメーションの原画のほとんどが2値ペンで描かれていることも事実だが、最終的な工程でアンチエイリアス処理が行われるため、2値ペン絵とは言い難い。2値化したマンガ風のイラストも同様である。ここで、ピクセルアートのコミュニティにおいて、2値絵という言葉がどのように用いられてきたかを考察する。
 2値絵あるいは2値ペンという言葉が、ピクセルアートと対置するように使われていたことは、既に2009年頃のX(旧Twitter)から見られる。

“アイコンをクリックして拡大するとどれだけ酷いかが分かる。これはドット絵じゃない、ただの2値絵なんだ…” (2009)

“「ドット絵簡単れす^^^^^^」といってる人のをどれどれ…と見てみると、なぜか2値ペンで描いてるだけの落書きだったりするオチ。待て、まずは線の整理から始めようか。”(2009)

 そもそも、2値ペンという言葉が生まれたのはいつ頃だろうか。初出はおそらく、SYSTEMAXの小松浩司が開発した『ペイントツールSAI』からである。「SAI」としての初期のリリースは2004年8月であり、2006年に試食版として配布され、ペイントツールとして広く普及していった。また、2008年2月25日にVer.1.0.0として製品版が発売された。公式サイトの更新履歴を見ると、アンチエイリアスなしのブラシとして「2値ペンツール」が2007年11月26日のα10版で追加されていることが分かる。ペイントツールSAIの2ちゃんねる(現5ch)のスレッドのなかで、アンチエイリアスのないブラシ*17を望む書き込みが複数あるように、開発者の小松自身も2つ目のスレッド(2006)で「ドット打ち用ツールってのは考えていますので、そのうちやる予定です。」と意欲的に回答している。ペイントツールSAI 自体は、2006年頃から2010年代前半にかけて、デジタル絵画を描くためのペイントツールの中でも絶大なシェア率を誇っていた。ペイントツールSAIのガイド本といった書籍がその時期に多く刊行されているのも、当時の盛況を裏付けるものだろう。2値ペンという言葉が頻繁に使われるようになったのも『ペイントツールSAI』製品版の発売の2008年以降とみられる。
 ではSAIの2値ペンで描かれたイラストがピクセルアートと対置されていたのかといえば、それも正確ではないだろう。MSペイントでピクセルアートが描かれることがあるように、SAIの2値ペンで真正なピクセルアートが描かれることは当時も今もある。1ピクセルの編集が可能ならば、専用のツールでもペイントツールでも、ピクセルアートを描くことは可能である。
 たとえば、イラスト投稿サイトの『Pixiv』で投稿者自身が2値ペンというタグを付け、かつドット絵のタグが付けられていない作品に図13がある。

図13 Pixiv上に投稿され、2値ペンのタグが付けられたイラスト

 一目見るとそれがピクセルで構成されていることが分かるが、ピクセルアートの単位らしさはないかもしれない。統語論的敏感さはそこまで高いとは言えなく、遠目に見たらピクセルで構成されていると分からないかもしれない。それでも一応、肉眼で見える範囲ですべてが1ピクセルで構成されている画像である。主観的に見て「お絵かき」のように見えるのも確かである。
 図13のような2値絵は、英語でOekaki(もしくはOekaki Pixel Art)とも呼ばれている。例えば図を見ると、彩色された箇所の多くはツールで塗りつぶされているように見える。初出は、2010年にピクセルアートのコミュニティ「PixelJoint」でThe Pixel Art Tutorialというタイトルで投稿された文章である。そこでは、Oekakiとピクセルアートの区別は、個々のピクセルにどれだけ気を配っているかという判断のもと行われるとされる。英語のOekakiとはそのフォーラムの投稿を元に広まったと思われ、おそらくその語源は日本語の「お絵かき掲示板」から来ている*18
 こうしたOekakiとpixel art、日本語で言えば2値絵対ピクセルアートの構図は多少、根強いものになっている。こうした議論が引き起るのは、かつて上記のコミュニティサイトやPixivにおいて、2値絵がピクセルアートとして投稿されることがあったためである。そうしたなか、今行われている議論は、高解像度のピクセルアートとピクセルアートのように描かれた2値絵の判別である。具体的な例を出すのは難しいが、SAIの2値ペンを使用していると公言する国内の著名なアーティストのひとりに、せんたっき(たるたる)の存在が挙げられる。

図14 せんたっきによる作品

 あくまで本人は絵のスタイルを「ドット風味」としているが、鑑賞的な目線で高解像度のピクセルアートと見分けるのは個人の判断に大きく左右されるだろう。視覚表現として確立され、2章のように美学的条件として定義されたピクセルアートの概念を用いる場合、2値絵とピクセルアートの境界はよりあいまいなものになってしまう。
 こうした2値絵において、1ピクセルの2値ペンが使用される場合が多いが、アーティストによっては2値ペンに筆圧感知のオプションを付けて描く場合がある。(筆圧によって1ピクセルの大きさが変化する)その場合、2章で示したピクセルアートの単位とはならない。「バイナリアート」の項でも同様のことが画像で説明されている。だが2値絵において、それはオプション的なものに過ぎない。1ピクセルにこだわるやり方もあれば、制作する作品によってどちらかを使い分けるパターンすらある。
 ピクセルアートにおける輪郭線のオプションに、線の綺麗さ(完全さ)が求められる場合がある。たとえば1ピクセルで曲線の輪郭を描くとき、不揃いにピクセルが隣接している例や、角度が均等な直線でない場合、ピクセルアートの悪例である*19。これを用いてピクセルアートと2値絵を区別してもいいかもしれないが、高解像度のピクセルアートの場合、これをすべて厳守することは難しい。(もちろん手直しで出来る限り修正はできるし、そうしている作家も存在する。)高解像度のピクセルアートと2値絵は、手法によって各自で線引きを行うことができても、美学的な定義において明確に区別することは難しいのである。

図15 「Pixel Perfect Lines in HTML Canvas」

 ここまで2値絵についての説明を行ったが、前節2項で説明したdotpictの「バイナリアート」といくつか類似点が見られるのではないだろうか。説明部分で2値ペンが強調されているのは、『ペイントツールSAI』の最盛により2値ペンという言葉が広く知れ渡ったからと見立てることができる。提示する画像でドットのサイズが不揃いなのも、2値絵において筆圧感知でイラストが描かれる場合があるからだろう。「お絵かきのように」と書かれているのも、英語のOekaki Pixel Artや、お絵かき掲示板におけるお絵かきを踏まえた表現と捉える余地がある。そして、バイナリとは、日本語に直せば「2値(の)」という意味である。ドット絵が今ではピクセルアートとほとんど交換可能な言葉であるように、バイナリアートは2値絵と日本語に直せそうである。
 それでも、わざわざカタカナに直しているように、直接2値絵とせず、新しく言葉を作ったのにも理由があるはずである。第1に、2値絵という言葉がほとんど定義されていない概念だったことにある。ピクセルアートのコミュニティ外で、2値絵(あるいは2値ペン絵)という言葉を使っても、2値ペンが何かという説明を挟まなければならず、2進数の数字によるアスキーアートと勘違いされてしまうかもしれない。ピクセルアートのコミュニティ内でも、2値絵が何を指すかが完全に共有されているとも言い難い。第2に、2値絵に代わる概念が特になかったことにある。2値絵のような様式は既にイメージとして共有されているはずだが、鑑賞者からすれば「お絵かきチャット風の絵」「ギザギザした絵」「高解像度のピクセルアート」としか捉えられず、一言にまとめる概念が鑑賞者側からしてみればなかったのである。第3に、鑑賞者に技術的な用語を求める点と、他にある「2値(化した)絵」との混合を避けるため、2値ペン絵や2値絵はガイドライン上相応しくなかったためである。
 第2における2値絵の様式については次章に持ち込むとして、第1における2値絵の定義を明確にすることは難しい。4章でも2値絵という言葉を使うが、あくまで2値ペンで描かれたイラスト程度の意味で用いる。はじめに2値絵と呼ばれるような作品の分類を行い、そのあとにdotpictのバイナリアートから概念を借用し、その概念をより使いやすいものへと拡張するため、独自のバイナリアートの定義を提唱する。

4. バイナリアートを有効な概念にするために

 初めに、ここで定義するバイナリアートはピクセルアートと対立するものではない。さらに言えば、バイナリアートはピクセルアートのミミクリー(まねしたもの)ですらない。もちろん、バイナリアートの中でピクセルアートの手法(網掛け、完全な線)を取り入れたものも多いし、それが美学的なピクセルアートの条件を満たすならそれはピクセルアートである。一方で、後述するがバイナリアートでもあるという場合もある。ピクセルアートが低解像度を今の技術で再現する…ようは低解像度による破綻と向き合う行為なら、バイナリアートは低解像度(あるいは中解像度)の破綻を受け入れる行為にみえる。ピクセルアートでは単位としてのピクセルが美しいとされるが、バイナリアートはむしろピクセル自体の素朴な美を取り入れているように思える。そこにバイナリアートが概念足り得る理由がある。美学的にバイナリアートが定義されるには、条件と様式を示す必要があるだろう。そして時折、ピクセルアートにおける配置と、イラストレーションにおけるドローイングの対置によって、バイナリアートは透明化したピクセルアートの慣習を批判的に促すことさえある。
 この章で例に出す作品が、ピクセルアートかバイナリアートのどちらかといった検証はしない。バイナリアートを定義づけるために多くの作品の例を出すが、それらをバイナリアートにカテゴライズしようという意図はない。とはいえ、全てバイナリアートの定義に当てはまると思える作品を取り上げる。先に述べた通り、バイナリアートだから「ピクセルアートではない」という言葉は意味しない。バイナリアートとはもう少し普遍的な概念である。バイナリアートをピクセルアートのサブカテゴリー、あるいは派生ジャンルとするのも、おそらく間違いだろう。バイナリアートとは、まったく違う概念でありながら、時にピクセルアートとしての美を追い求めることもできるし、制約によって生まれる場合もある。そこに共通しているのは、ピクセルの持つ素朴な美である。

4.1 ピクセルの線とペン

 2値絵といって想起されるもののひとつに、「お絵かき掲示板」で描いた絵が浮かぶだろう。もちろんその絵にも色々な種類はあるが、図16のような1ピクセルのペン、つまり最小サイズの2値ペンで描かれた絵は典型的な例である。お絵かき掲示板とはWeb上に設置できるペイントツールの付いた電子掲示板のことである。また、お絵かき掲示板による交流の文化を指して使われることもあり、2000年代のインターネットの代表的な文化でもある。お絵かき掲示板にも2値ペン以外のペンツールはあったが、こうした絵が多く描かれていた理由のひとつに、線の引きやすさや彩色の塗りつぶしやすさといった、技法的な面があるだろう。こうした技法的な側面はある意味、落書き≒お絵かき向きではあっただろう。加えて、ピクセルの線を引く感触的な「楽しさ」を覚えていたユーザーも一定数みられる。もう一方で、解像度の制約という点もあった。初期のお絵かき掲示板ではキャンバスサイズの最大が300x300(最初期は200x200)と低い解像度であったため、むしろぼかしツールなどを使うよりも2値ペンでくっきりとしたイラストを描いた方が綺麗に見えたためである。こうした2値ペンを使用したイラストが、キャンバスのサイズが制限されたお絵かき掲示板ならではのスタイルとして広まり、「お絵かき掲示板で描いたような絵」として特有の味や美が見出されたのである。

図16 岸田メルによるお絵かき掲示板での作品

 美術評論家のgnckは、こうしたお絵かき掲示板などで描かれる低解像度のビットマップ画像(ピクセルが見えるがドット絵ではない絵)を「中解像度」と呼ぶ。これらの作品に見られるようなギザギザを「ジャギー」と呼び、二艘木洋行の自己反省的な作品を参照しながらジャギーによる「中解像度」固有の美を主張する。しかし、これには問題がある。二艘木洋行は、2007年以降下火になったお絵かき掲示板以降でも、お絵かき掲示板での制作を続けるアーティストである。とはいえこれは、流行が下火になった以降のお絵かき掲示板内での取り組みであり、従来のお絵かき掲示板のイメージとはまた異なる。お絵かき掲示板における脱歴史的な取り組みに価値はあるが、そこから「中解像度」固有の美を主張することは、多少無理があるだろう。
 gnckも2013年に「主線をドットによって描く…」と述べるように、おそらくこうした2値絵の美とは、線が1ピクセルで構成されている、かつそれが肉眼で識別できるという部分にある。限定的に絞るが、お絵かき掲示板に影響を受け、『ペイントツールSAI』を使用していると公言するアーティストに、3章で取り上げたせんたっきが挙げられる。2016年に刊行された書籍の『ILLUSTRATION 2017』で、せんたっきは「情報の少ない引き算された絵をドット風味に昇華して、見栄え良くするのがこだわり」、「ありえそうでありえないポーズや構図のために無くなる線を追及したい」、「最小単位の1pxで描くメリハリある2値ペンと少しヘンテコなポーズ、幾何学模様に混じるキャラクターの線が、自分たらしめる特徴」(2016)と述べている。

図17 ぴーすによる2023年の作品

 図17の画像は、自身のWebサイトにお絵かき掲示板を設置し、『ペイントツールSAI』を使用するぴーすによる作品である。彩色の一部はレイヤー*20を用いて、グラデーションの表現を取り入れている。ぴーすの作品とせんたっきの作品は両方とも1ピクセルで構成されており、そのピクセルは肉眼で識別できる。こうした作品が塗り方あるいは解像度のような条件でピクセルアートから除外されるとき、鑑賞者は「ドット絵風」「中解像度」のような奇妙な言葉を使わなければならないのだろうか*21
 線がピクセルで構成されたようなイラストは、たしかにギザギザしているし、gcnkが主張するジャギー(ノイズ)と見立てられるかもしれない。だが、ピクセルで線を描く以外の目的がない場合、むしろジャギーは背景化される。そこに批評的実践が見られないとき、2値絵にノイズとしてのジャギーは発生しないように見える。ノイズではないジャギーは、ジャギーと呼べないだろう。2値絵をビットマップ画像のノイズをうまく取り入れていると解釈するより、ピクセルのペンで線や彩色が行われていることを特徴づける方が真っ当に思える*22。作品にジャギーを見出すのはあくまで解釈的なアプローチに過ぎず、もはや本質的な特徴を指摘しているとも言い難い。そのため、本稿ではジャギーの概念について取り扱わない。2値絵の美的特性については最終段階で述べる。
 とはいえ、上記で述べた作品は整列された1ピクセルによるイラストである。むしろ本題は主線が1ピクセルではない2値絵についてだろう。

図18 うごむいによる2023年の作品

 図18の画像はうごむいによる作品である。画像は肉眼で識別できる範囲のピクセルによって構成されていることが分かるが、複数のレイヤーによるピクセルが、均等に整列されず組み合わさっているのも特徴的である。さらに、手の部分を見ると分かるように、大きさが不揃いなピクセルも視認できる。ピクセルアートを完全情報アートとするなら、この作品は不完全情報アートとも言えそうである。着目すべきは、影や強調表示としてのピクセルの可変性である。親指の輪郭は複数のピクセルを重ねて描かれる一方で、中指の輪郭は掌側のピクセルのサイズが他のピクセルより小さくなっている。これはピクセルアートではありえないことだが、ピクセルならではの表現と言えるのではないだろうか。詳しくは後述するが、ピクセルのサイズ…というよりもピクセルの「量」が画像の情報量を変化させるというのは、カルヴィッキの描き方の写実性をピクセルの可変性でコントロールできるという点で、デジタル画像のらしさがある。くわえて、ピクセルが視覚的に分節できることで、バイナリアートは美学的条件を満たすと主張したいのである。
 ここまでに画像を例として出した作品で、ピクセルアートを強く意識した作品はおそらくない。そしてこれらに共通するのは、インターネットのお絵かき文化が下地にあるという点である。お絵かき掲示板やお絵かきチャットといった、解像度や使えるペンにある程度制約がある環境によって、ピクセル(2値ペン)でイラストを描く発想に繋がるのは、至極当たり前とも言える。そこからせんたっきがピクセルアート風のスタイルに昇華したり、ぴーすがグラデーションを用いたり、うごむいがピクセルのサイズ(量)によって線の強弱を付けるのも、美学的なピクセルアートから発展したわけではなく、ある程度制約のあるキャンバスの上でイラストを描く文化が常にあったからだろう。そういった慣習から、ピクセル表現を取り入れたイラストは発展の予兆を見せている。そうしたものが「ピクセルアートではない」とか「ピクセルアート風」とカテゴライズされることは、問題がある。
 次節は、ビデオゲームとディスプレイサイズが透明化したピクセルアートの慣習を批判的に促すケースがあることを示す。

4.2 ハードウェアと慣習

旧来のドット絵(技術的制約という意味でドット絵と呼ぼう)はソフトウェア環境ではなく、ハードウェアに依存していた。ペイントツールといったソフトウェアによる制約ではなく、コンピュータやビデオゲームを動かすハードウェアの、解像度や発色数による制約によって生まれたグラフィック表現だった。ハードウェア自体の画面解像度やCPUだけでなく、コンピュータやゲームを表示するディスプレイもハードウェアに分類される。こうした制約が緩まるにつれ、ハードウェア上の制約による旧来のドット絵は消滅し、ドット絵はアート的な表現になっていった。Heikkinenが言うように、現代のピクセルアートはすべてハイビット(ハードウェア制約のない)なピクセルアートとも言える。
 余談だが、ブラウン管(CRTモニター)特有の画面に起こる、「滲み」が考慮されてドット絵が作られていたという技法的な話が度々話題になる。だが、当時の表示装置はCRTモニターに限定されており、また制作も主にCRTモニター上で行われていたため、「滲みが考慮されていた」の部分は偽ではないが、制作装置も表示装置も同一であるため、数ある手法からそれを取り入れたわけではない。
 話を戻し、ハードウェアの画面解像度のサイズを辿ると、8ビットCPUを使ったファミリーコンピュータの画面解像度は256x240*23、16ビットCPUを使ったスーパーファミコンの画面解像度は256x224*24、同じく16ビットCPUを使ったパーソナルコンピュータのPC-9801は640x480となっている。ビットとはCPUにおいて、いくつかの性能による分類である。この性能により発色数が決まる。
 このようなハードウェアによる制約が、今のピクセルアートの起源になっていることは確かだろう。お絵かき掲示板などの制限されたキャンバスのサイズは、たしかに制約的ではあるが、ペイントソフトという観点でどちらかといえばソフトウェアによる制約だろう。だが、ハードウェアによる制約から生まれた産物として見逃せないものの一つに、『うごくメモ帳』の存在がある。加えて、ビデオゲームの画面解像度による制約がある。
 『うごくメモ帳』は2008年に任天堂から配信されたニンテンドーDSiウェアである。ニンテンドーDSiウェアとは、任天堂から発売されたニンテンドーDSiおよびニンテンドー3DSに追加可能なソフトウェアを指す。また、2013年にニンテンドーeショップから配信された後継ソフトである『うごくメモ帳 3D』についても取り扱う。本稿で単にうごくメモ帳と呼ぶ場合、うごくメモ帳2作品を指す。
 主な機能はタッチペンで手書きのメモを残し、メモを保存することである。普通のメモ帳としても使えるが、複数のページによるメモをパラパラマンガのように再生し、アニメーションを作成することができるのが最大の特徴である。メモに効果音や録音した音声を挿入することも可能で、カメラ機能を用いて写真からメモを作成することもできる。『うごくメモ帳』で使用できる色数は4色で、1ページに2色までの制限がある。『うごくメモ帳 3D』ではさらに2色が追加され、ページによる色数の制限はなくなり、背景色の追加やレイヤー機能の拡張、動画形式でのメモの保存が可能になった。また、JPEG形式でのメモの出力も初期のアップデートで対応された。
 『うごくメモ帳』の配信と同時期に、任天堂と提携していた株式会社はてなによる「うごメモはてな」(うごメモシアター)というコミュニティサービスがリリースされた。その後『うごくメモ帳 3D』の配信に伴い「うごメモはてな」のサービスは終了し、『うごくメモ帳 3D』以降では、任天堂開発の「ワールドうごメモギャラリー」という有料*25のコミュニティ機能がソフトに付属するようになった。この後、「ワールドうごメモギャラリー」は2018年をもってサービスの提供が終了した。『うごくメモ帳』は2017年のニンテンドーDSiショップのサービス終了に伴い新規ダウンロードができなくなり、『うごくメモ帳 3D』は2023年3月28日のニンテンドー3DS版ニンテンドーeショップのサービス終了に伴い、こちらも新規のダウンロードが不可能になっている。どちらもオフラインの利用は現在も可能だが、正規での新規の入手は不可能である*26
 お絵かき掲示板を2000年から2007年にかけて広がったインターネット上のイラストでの交流文化とするなら、うごくメモ帳における、「うごメモはてな」と「ワールドうごメモギャラリー」のコミュニティは、2008年から2018年まで9年あまり続いた、ひとつのペイントツールによる交流ではないだろうか。もちろん簡単な対比はできない。うごくメモ帳の場合はイラストというよりアニメーションの方がより投稿されるし、交換日記やチャット、あるいは劇やマンガ、「悪神ゆうた」のようないわゆる荒らし的な作品*27など、何でもありのような投稿が行われていた場所でもあっただろう。
 ニンテンドーDSシリーズは、日米両国において最も売れたゲーム用ハードウェアである。そうしたなかで、『うごくメモ帳』はある時期のニンテンドーDSi以降、あらかじめ内臓ソフトとして搭載されるようになった。株式会社はてなは2010年6月のプレスリリースでうごメモシアターの総ユーザー数が223万人、作品投稿総数が664万件に達したと報告している。また、2009年のプレスリリースでは利用者の8割が小中学生などの低年齢層にあたると報告している。少なくとも日本では、うごくメモ帳が学童期や青年期の年少者にとって、描画やアニメーション制作の原動あるいは初期の体験となっていたことは事実ではないだろうか。習い事のような早期教育と異なり、DSひとつで本格的な創作が可能で、他者と容易に競争ができるといったアクセスのしやすさが特徴的である。大まかに、年少者にとってうごくメモ帳が描画の初期体験になっていたと述べたが、デジタル描画の初期体験と言葉を狭めることも可能である。
 話をハードウェアに戻そう。ニンテンドーDSの画面解像度は256×192の2画面構成で、32ビットのCPUを採用している。画面解像度に限れば、ファミリーコンピュータよりも解像度が低い。ニンテンドー3DSの場合、下画面は320×240、上画面は800×240*28である。ニンテンドーDSのような携帯型ゲーム機は、ハードウェアに加えて表示装置、つまりディスプレイが一体化していることが特徴である。そしてうごくメモ帳に例えれば、ソフトで作品を制作するハードウェアと、投稿された作品を鑑賞するハードウェアは同一である。ようするに、うごくメモ帳で作られる作品はすべてハードウェアの制約の元で制作されている。配信が終了した2023年現在でも、うごくメモ帳によるアニメーション作品は3DS(DS)によって継続的に作られている。それらは単にソフトウェアの人気もあるが、3DS(DS)でしか作れないという観点で、ハードウェアに依存していた初期のドット絵に近い点があるのではないだろうか。『うごくメモ帳』を模倣したペイントツールで作品があまり作られることがなく、逆に「うごメモシアター」を代替するサービスが非公式に運営されているのも、図19のような作品がハードウェアに依存していることを裏付ける。

図19 新規のダウンロードが不可能になった2023年4月にYouTube上にアップロードされた、うごくメモ帳のアニメーション動画

 こうした「うごくメモ帳」で制作したアニメーションを、ビデオゲームに取り入れる試みを行うゲーム制作者の一人に、ましろの存在が挙げられる。

図20 2023年にデモ版が公開された『KKKKKILL_FIVEKILL COMPANY』

 ましろもまた、主にSAIの2値ペンによってイラストやCGを描くが、時折ゲームの背景やキャラクターのアニメーションを3DSの『うごくメモ帳 3D』で描く場合がある。うごくメモ帳においてよく表現されるメッシュ(トーン、タイル)は、うごくメモ帳においてブラシツールと消しゴムツールのほとんどがメッシュで構成されている。また、カメラ機能で撮影した写真を取り込む時、6色以下の設定した色数で写真が描写されるため、ノイズのような表現を意図的に取り入れることができる。いずれにせよ図20の画像の背景アニメーションは、レトロゲームを意識した表現ではなく、ペイントツールのなかで、特にうごくメモ帳に見られる制約上の表現から来ている。

図21 うごくメモ帳のブラシの種類

 ピクセルアートもまたメッシュという表現技法がある。初期のグラフィックスにおいて限られた色数を、視覚上増やす目的で配置されていたのがメッシュである。現在のピクセルアートにおいてメッシュは使わなければいけないというようなものではないが、むしろ過剰なまでにメッシュを用いてグラデーションや影を表現する実践も見られる。
 とはいえ、うごくメモ帳の作品はレトロさのためにメッシュを用いるのではなく、ブラシや消しゴムがほとんどメッシュであったという技術的な制約から来ている。うごくメモ帳に影響を受けたアーティストが2値ペンやメッシュ、ザラザラしたグラデーションやノイズを使うことが多いのも、ノスタルジーを追及しているわけではなく、慣れ親しんだペンや表現を当たり前に使うといった、慣習的な側面から来ているのではないだろうか。
 また、ディスプレイサイズという観点から、ビデオゲームの解像度について触れておく必要がある。

図22 『Witch's Heart』(2017, BLUE☆STAR)

 『Witch's Heart』は2017年に、IZ(BLUE☆STAR)によってRPGツクール2000で制作されたホラーアドベンチャーゲームである。フリーウェア形式で公開されおり、バイオレンス要素を含むため対象年齢は15歳以上に指定されている。また、有志の手によって日本語以外に英語を含む6箇国語が翻訳されている。国内でも一定の人気があるが、より顕著なのは英語圏やロシア語圏におけるファンダムの人気である。動画共有サービスの『TikTok』では、#witchsheartとタグを付けて投稿された動画の総再生回数は約5,900万回であり、ファンメイドのPVや、『Witch's Heart』のキャラクターのコスプレ動画などが投稿されている。『Witch's Heart』のグラフィックはSAIの2値ペンによりピクセルで描かれているが、こうした「RPGツクール2000」を使用して制作されたゲームのグラフィックスに2値ペンが用いられることはよく見られる。前述したましろによる、初期に公開された『診断書屋さん』はRPGツクール2000を使用して作られている。他の著名な例として、ゲーム開発ブランドCHARONからリリースされた2作目のゲーム『みっくすおれ』もまたRPGツクール2000上で制作され、2値ペンが使用されている。これらの作品に共通する部分は、RPGツクール2000上で制作され、グラフィックスに2値ペンが使用されており、どれもアドベンチャーゲームであるという点である。
 『RPGツクール2000』は、株式会社アスキーによって2000年に発売されたロールプレイングゲーム制作ソフトである*29。主にRPGゲームが作られることが多いが、その自由度の高さからノベルゲームやアクションゲームが作られることもある。RPGツクール2000の画面解像度は320x240のサイズであるため、高解像度で描いたイラストをそのまま貼りつけることはできない。さらに、RPGツクール2000で作られた作品をプレイする際の画面解像度も320x240と同一である*30。そのため、アドベンチャーゲームやノベルゲームの立ち絵やCGが2値ペンで描かれることが多い。高解像度の画像やイラストを縮小するとアンチエイリアスが目立ってしまい、綺麗なグラフィックに見えないためである。しかし、RPGツクールはシリーズ作品であり、RPGツクール2000の後継作品は既に6作品存在する。それらはより高い画面解像度を有している。それでも『Witch's Heart』(2017)のように現在でもRPGツクール2000でビデオゲームが制作されているのは、受容者と制作者双方による需要があるからである。RPGツクール(英題: RPG Maker)は、コアなファンが国内外問わず存在する。そのなかでも特にRPGツクール2000は使いやすい・操作しやすいと評される。RPGツクール2000が発売された2000年代に、多くのゲームがRPGツクール2000で作られていたことも人気の要因のひとつだろう。図23の画像は英語圏におけるGoogleの検索数で、RPGツクール2000と他の主流なゲーム制作ソフトウェアを比較したものである。

図23 RPG Maker 2000と他の主流なゲーム制作エンジンの検索数の比較

 RPGツクール2000が後継作品ともっとも違う部分は、スクリプトがほとんど必要ないという点である。プログラミングの知識がなくても容易にRPGのシステムを組み立てることができ、さらに拡張性もあるという点でRPGツクール2000はゲーム制作者にとって、未だ人気を博している。一方で、受容者もまた慣れ親しんだゲームのシステムを体験できるというある種の取っつき易さがある。
 こうしたハードウェアの制約に依存して作られるのが、『Witch's Heart』のようなピクセルによるグラフィックである。『Witch's Heart』のグラフィックは図22の画像を見て分かるように、ピクセルのサイズがまばらな場合がある。こうした点で2章のピクセルアートの条件は満たしていないだろう。とはいえ、こうしたピクセルの表現がディスプレイの制約に依存しているのにも関わらず、「ピクセルアート」という言葉が適応できないというのは少し奇妙に思える。全くの別物と切り捨てることも可能だが、初期のピクセルアート、言うならば技術の制約上で成り立っていたドット絵と、『Witch's Heart』のピクセル表現は似通った性質を見出せるように思える。
 カルヴィッキは画像表象の写実性について、3つの基準を示す。このなかの1つの種類の写実性の基準は、どれだけ「典型」に基づくかという判断による。ピクセルアートに完全な典型が存在するかは分からないが、ひとまずある程度共有された美的な視覚表現としてのピクセルアートとしよう。「ピクセルアート風」や「ピクセルアートっぽい」「偽の」と判断されるピクセルアートの真偽の議論において、『Witch's Heart』のようなピクセルの表現は通常ピクセルアートと見なされない。だが、その表現がハードウェアの制約に依存していたとき、旧来のドット絵のハードウェアへの依存を明らかにし、カルヴィッキの種類の写実性、つまりピクセルアートの典型における基準の内実に批判を促すのではないだろうか。ピクセルアートは既に透明化しており、「置く」とか「ルール」のような不明瞭な慣習に対して、デジタル描画における「描く」という行為が批判的な機能を持ちうるという主張である。
 大きさが不揃いのピクセルアートという点で、ゲーム制作者のるねつきの存在が挙げられる。るねつきはRPG2003を用いてゲームを制作するが、主にアクションゲームを作ることが多い。図24の画像のように大きさが不揃いなピクセルを取り入れることがあるが、ひとつの理由にアクションゲームであることが挙げられそうである。もちろん意図して取り入れた表現ではないかもしれないが、アクションゲームのアニメーションという点で、ある程度ピクセルアートの条件を破る実践がここでは行われている。

図24 『Route977』(未公開)

 先ほど例に出した、CHARONからリリースされたゲーム『みっくすおれ』(2013)は、RPGツクール2000で制作され、SAIの2値ペンが使用されている。図25はゲームのタイトル画面だが、特徴的な部分はキャラクターの輪郭線と顎のあたりの箇所だろう。ほとんどの線は1ピクセルで構成されているが、キャラクターの輪郭を強調する線と顔から首にかけての影の部分は、2ピクセルほどの線で構成されている。前節でも述べたが、これも影や強調表示としてピクセルによる表現が使用されている例である。

図25 『みっくすおれ』(2013)

図26 『四月馬鹿達の宴』(2010)

 RPGツクール2000を使用し、『四月馬鹿達の宴』や『さいはてHOSPITAL』*31といった著名なロールプレイングゲームの制作で知られるゲーム制作サークル「西高科学部」のynは、「人生を変えたゲーム」のひとつに『マリオペイント』を挙げている。
 『マリオペイント』は1992年に任天堂から発売されたスーパーファミコン用のゲームソフトであり、スーパーファミコン初のマウス対応ソフトでもある。その名の通りペイントツールだが、当時のコンピュータのペイントツールと比べると性能は大きく劣る。それでも当時のコンピュータの値段と比べると、かなり安価だったため、手軽さという点でヒットに繋がった。『うごくメモ帳』の先駆けとも言える存在である。
 ここまでの部分で、ディスプレイないしハードウェアが制約された環境によって、ピクセルによる表現が取り入れられた作品と、その慣習から発展した作品を、ビデオゲームを中心に取り上げた。また一部のゲームが、透明化したピクセルアートの慣習に対して批判的な機能を持つことを主張した。一方で、RPGツクールシリーズ、うごくメモ帳、マリオペイントなど、これらはお絵描きやゲーム制作を体験できるゲームである。こうしたゲームを元に制作されたゲームを多く取り上げたが、偏りがあるかもしれない。次節で、ピクセルの普遍的な美を主張し、既存のバイナリアート概念を有効なものにするため、より本質に即した特徴づけと明確な定義を理論的に示す。

4.3 普遍的なピクセルとバイナリアート

 ここまで、アンチエイリアスなどの処理がされていないペンで描かれた絵を2値絵と呼んできた。バイナリアートは2値絵とほぼ同義に思えるが、指し示す範囲は少し違っている。とはいえ意図としては、ここまで2値絵として取り上げた作品は全てバイナリアートの概念に当てはまる。だからピクセルアートではない、という主張を行いたいわけではないし、それらの作品をカテゴライズしようとする意図はない。ここでdotpictの「バイナリアート」から語を借り、バイナリアート概念をよりよい概念にするために定義を新しく行う。とはいえ、その前にバイナリアートに該当する作品に共通して見られる、知覚的な特徴がなにかを探る必要がある。

図27 『Nurture』のプロモーションに使用されたアートワーク

図27の画像は、アメリカ合衆国の音楽プロデューサーであるポーター・ロビンソンが、2作目のアルバム『Nurture』および、公式サイトのプロモーションに使用した画像である。MSペイントの鉛筆で描いたような不規則な線は、一貫して『Nurture』のプロモーションや、先行シングルでリリースされる曲のアートワークに使用された。これは、デジタル上でしか描けないような線である。ポーター本人が話すように、『Nurture』は創作上の困難と精神的な問題を乗り越えて制作されたアルバムである。アルバムは新型コロナウイルスによるパンデミックにより延期された。その渦中のなか、2020年3月にNurtu.reというWeb上のサイトが公開された。Nurtu.reは、『Nurture』のいくつかのミュージックビデオを再現したデジタル空間を探索することができる、インタラクティブなサイトである。なかでもオンライン上の他のユーザーと自動的につながり、曲を聴きながらデジタル空間を歩き回ることができるのが特徴である。プレイヤーのアバターは、図27のような線を模した光の線で表現され、他のユーザーに話しかけたりすることはできないが、どこでも『Nurture』の線を落書きすることができる。
 ポーター自身がインターネットを出自とするプロデューサーであること、パンデミックの渦中であったこと、その上でプレイヤーが『Nurture』の線になれたことは興味深いだろう。ユーザーはデジタルの線であることを自覚するし、他のユーザーも可視化されるが、言葉を通した交流は行えない。ポーターのプロモーションとバイナリアートに直接的な関連性はないが、アクセスするユーザーがデジタルでしか描けない『Nurture』の線にならざるを得ないのは、インターネットにおいてユーザーはデジタルでのみ存在するという自覚を促したり、デジタルの線がデジタルでしかないことを想像させる。ここでは、視覚的に識別可能なデジタルのらしさが示されている。
 本稿ではここまで、ピクセルアートに対してノスタルジーや想像力といった言葉をほとんど使っていない。ピクセルアートが懐古的に受容されているのも確かではある。例えば、ピクセルアートの名作ゲームがリメイクされるとき、ピクセルの大きさが不揃いだったりすると当然批判される。受容者は純正なピクセルアートを求めてリメイク作品や、懐古を謳う作品に手を出すからである。一方で、想像力という点のみでピクセルアートを評価するのにも限度がある。ゲームライターの池谷勇人が言うように、今のゲームも想像力なくしては遊ぶことができないだろうし、想像力は個人によって異なるだろう。ピクセルアートの想像力はここまでに留めておくとして、バイナリアートにノスタルジーはあるのだろうか。
 ノベルゲームを主に制作するゲーム制作者の隷蔵庫は、「小学生の時点ですでにWiiやPS3で遊べる高解像度なゲームが存在していた。私にとってドット絵は数多あるゲームの表現方法のひとつに過ぎなかった。MOTHERやマリオも、もともとは昔のゲームということは知っていたが、特に新しいゲームと比べて古さを感じるようなことはなかった。」(隷蔵庫, 2022)と述べる。今において、ピクセルの表現やピクセルアートは普遍的に存在している。バイナリアートもまた、普遍的にピクセルで表現を行う。うごくメモ帳やお絵かき掲示板のように、慣習から自然とピクセルによる表現を取り入れることもある。もちろんバイナリアートのなかで、積極的にピクセルアート固有の表現が取り入られることもあるが、バイナリアートがすべて「ピクセルアートを模したもの」ということにはならない。伝統的なピクセルアートが大して意識されず、バイナリアートが描かれるという事実は、むしろバイナリアートが「キッチュ」な表現ではないという証明になる。
 こうした上で、バイナリアートの持つ特徴がなにかを明らかにしよう。当然、「絵がピクセルで構成されている」のような本質的特徴の指摘だけでは、バイナリアートの美的特性を説明することはできない。ピクセルアートの定義と同じように、画像一般からバイナリアートを区別することにしよう。
 第1の特徴は、ピクセルの単位によって構成されていることが、肉眼で識別できることである。ここでのピクセルの単位とは、ピクセルアートの単位のことではない。ディスプレイの表示単位である「ピクセル」と区別する必要がある。そのために、バイナリアートのピクセルの単位を提示する。

a. 4つの頂点と4つの辺を有し、4つの角がすべて等しい形状をしている。この時、すべての単位の大きさや形状が同一である必要はない。
b. 単位が色を有している。
c. ほとんどの単位が他の単位と隣接している。

 aの条件はピクセルアートの単位と似ているが、形状やサイズがまばらでもいいという部分がポイントである。筆圧を有した2値ペンで描かれる時や、アニメーションの都合でキャラクターと手に持つ武器などの解像度がバラバラであっても構わない。一方で、4つの角がすべて等しいと限定することで、おそらく手書きによるバイナリアートは除外される。こうした点でバイナリアートは、おそらくデジタル画像に限定される画像表象である。
 bの条件は少し変わっている。4章1節で提示した例のように、バイナリアートは別のレイヤーを重ねることで、彩色される可能性がある。レイヤーによってグラデーションや模様が元の色の上に適応されるとき、1単位につき1色だけではなくなる。
 cの条件はほとんどの単位とした。4章1節の例のように、複数のレイヤーによるピクセルを重ね合わせる過程でズレが生じる可能性もある。そのため、すべての単位が隣接している必要はない。とはいえそういった事例は多くはないため、例外的ではある。

ここまでをまとめると、第1の特徴は、ピクセルの単位によって構成されていることが肉眼で識別可能なデジタル画像で、ピクセルの単位はバイナリアートにおけるピクセルの単位a~cを満たすものである。補足を加えると、ピクセルの単位が肉眼で識別できるのではなく、ピクセルの単位による構成が肉眼で識別可能という点が重要である。たとえば、解像度が極めて高かったり、強いエフェクトがかかって視覚的に見えづらい場合、単位の識別が難しくなるが、元の画像がピクセルの単位によって構成されていることがなんらかの手段によって肉眼で識別できれば、バイナリアートになる。逆に、MSペイントの鉛筆ツールで描かれた高解像度のイラストからピクセルの識別ができても、単位によって構成されていることが肉眼で識別できなければ、それはバイナリアートではない。
 第2の特徴は、ピクセルの量の調節によって情報量の操作が容易に可能という点である。まず、カルヴィッキによる画像表象の写実性の議論を参照する。カルヴィッキによると、画像表象の写実性の判断は、内容の写実性、描きかたの写実性、種類の写実性の3つに分けられる。内容の写実性が情報量、描きかたの写実性が描写の正確さ、種類の写実性が慣習的な典型にあたり、それぞれ基準を持つ。またカルヴィッキは、内容の写実性にあたる情報量の豊かさは、通常描きかたと組み合わせて写実性に寄与されると述べる。第1の特徴で述べた、バイナリアートのピクセルの単位そのものは情報量にあたるだろう。解像度を変えて同じ絵を描きなおす、ピクセルの量によって影や輪郭をコントロールできるといった例は、情報量に加えて描きかたの組み合わせによる表象の幅に相当する。それに加えて、バイナリアートはピクセルアートのように統語論的敏感さも高いだろう。もちろん、低解像度のピクセルアートのように1単位で意味内容が変わるほど高いわけではないが、低解像度のバイナリアートと高解像度のバイナリアートでは表象できる表現が大きく変化する。むしろバイナリアートの面白い点は、統語論的に無視ができるほど、ピクセルの単位を増やせるという部分にあるかもしれない。かろうじて全て1ピクセルで構成されていることが分かるが、かなり高い解像度のバイナリアートの場合、単位の識別可能性を弱めることで、普通の絵として見ることができるかもしれない。ピクセルアートの美学とは正反対に思えるが、ピクセルアートのようにドットに情報を持たせる足し算ではなく、バイナリアートは絵の情報量を失わせる引き算とも捉えられる。前者が高解像度の環境のもと、低解像度の絵を描く破綻した行為に向き合う美学なら、後者はそうした破綻を現代のイラストに取り入れ、受け入れる美学だろう。解像度やキャンバスサイズと絵の情報量が、ほとんどそのまま対応している部分も特徴的である。あらかじめ解像度を決めることで、おおよその絵の情報量の密度を決めることができる。
 これまでにバイナリアートの特徴と条件を述べたが、ほとんどのピクセルアートがバイナリアートの特徴を持っていることに気付くだろう。ピクセルアートはすべて、2値ペンによって描かれる。バイナリアートはピクセルアートに対応する概念ではなく、どちらかというと「広いピクセルアート」のような包括的な概念である。最後に、これまでの特徴づけと条件からバイナリアートの定義を提示する。

 バイナリアートは、バイナリアートの単位a~cを満たしたピクセルの単位によって画像が構成されていることが肉眼で識別でき、そのなかでピクセルの数量や形状の調節によって情報量の操作が容易に可能な、デジタル画像の一形式である。

バイナリアートが示す美のスタイルは特徴的かつ包括的だが、バイナリアートという名称はおそらく適切ではない。とはいえ、ピクセルアートとドット絵が同一の意味である現在において、ピクセル絵のような言葉を使うこともできない。ここでバイナリアートに代わる言葉は提唱できないが、少なくとも2値絵やPC-98ライクという言葉よりかは形式めいた言葉に聞こえる。dotpictがこの語を作り上げたのも、ピクセルアートの定義に当てはまらず、旧来のピクセルアートの文脈から外れたピクセルの表現がより増えているからだろう。こうした視覚表現が、ピクセルアート風や偽のピクセルアートとカテゴライズされることは、致命的な問題である。バイナリアートという言葉はいずれ消滅するかもしれないが、代わりとなる言葉はいずれ必要になる。
 本稿では、ピクセルアートの定義を限定してバイナリアート概念を導入したが、ピクセルアートの条件を拡張、あるいはいくつかに分ける方法もあるだろう。バイナリアートは紛れもなく、ピクセルによる表現の形式と言えるからである。

5. まとめ

 本稿の目的は、dotpictの提唱するバイナリアート概念を有効な概念として定義し直すことにあった。1章では、高解像度のピクセルアートが様々な議論を引き起こすことを説明した。2章では、視覚表現としてのピクセルアートがなにかを説明した。3章では、dotpictが用いるドット絵、ピクセルアート、バイナリアートについて説明し、既に存在する概念である2値絵がバイナリアートと対応関係にあると述べ、ピクセルアートと対置される関係にあることを述べた。そして、2値絵が何かを説明し、いくつかの作品を例に出しながら、dotpictがバイナリアート概念を作り上げるに至った思慮を考察した。4章では、いくつかのお絵かき掲示板の作品やビデオゲーム作品を例に取り上げ、ピクセルの普遍的な美を示した。および、例に挙げた作品の一部が透明化したピクセルアートの慣習に対して批判的機能を持つと主張した。最後に、バイナリアートの特徴を分析し、バイナリアートの定義を行った。

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SPECTRUM. 2023. KKKKKILL - FIVEKILL COMPANY(demo). PC.
任天堂. 2008. うごくメモ帳. ニンテンドーDS.
任天堂. 2013. うごくメモ帳 3D. ニンテンドー3DS.
Marmoset LLC. 2016. Marmoset Hexels 3. PC.
Joakim Sandberg. DANGEN ENTERTAINMENT. 2018. Iconoclasts. PC.
hinyari9. 2021. 溶鉄のマルフーシャ. PC.
インテリジェントシステムズ. 任天堂. 1992. マリオペイント. スーパーファミコン.
Mojang. 2009. Minecraft. PC.
CHARON. 2013. みっくすおれ. PC.
D-Pad Studio. 2016. Owlboy. PC.
るねつき. Route977. (未公開)
アスキー. 2000. RPGツクール2000. PC.
エンターブレイン. 2002. RPGツクール2003. PC.
西高科学部. 2008. さいはてHOSPITAL. PC.
Maxis. 1989. SimCity. PC.
SPECTRUM. 2019. 診断書屋さん. PC.
タイトー. 1978. スペースインベーダー. アーケードゲーム.
Toby Fox. 2015. Undertale. PC.
BLUE☆STAR. 2017. Witch's Heart. PC.

*1:松永(2019)は英語の「pixel art」と日本語の「ドット絵」を現代の言葉づかいでは完全に交換可能な言葉としている。これに従い、本稿ではピクセルアートとドット絵は交換可能な言葉とみなし、「ピクセルアート」の語を主に採用する。

*2:後述もするが、ここで注意するのはdotpictの「ドット絵」はバイナリアートやピクセルアートの「上位カテゴリー」を意味しないということである。愚直に文字から読み取れば、ピクセルアートやバイナリアートはドット絵の「例」でしかない。

*3:ピクセルアートを明確に定義することは難しいといった主張はよく繰り返されるが、これは誤りだろう(2章で示したピクセルアートの定義は一般的なピクセルアートの用法とほとんど似ている)。真の難しさとは、視覚表現としてのピクセルアート、伝統性と真正さの観点から取り決めるピクセルアート、許容される解像度や単位の認識性をなんらかの物差しで測ること、創作者の意図が第一に尊重されるといった、「何のピクセルアート」を主語として取り上げるかが定められないまま議論が進んでしまうことにある。

*4:投稿をしてはいけない作品をアップロードした場合、ガイドライン違反になり、アカウントの停止処分や投稿の削除が行われる。

*5:Notionの公開ページ

*6:「dotpict public page」はWeb版のdotpictからでは直接アクセスできないが、アプリ版からはページに飛ぶことができる。

*7:英語版のdotpictでも同様に作品の投稿画面でdotpict内におけるピクセルアートの定義が説明されている。投稿可能な2つの絵は「Pixelart」「Binaryart」、投稿が禁止される4つの絵は「Convert」「Image reduction」「Oekaki」「Picture」とそれぞれ対応する言葉が当てられ、各絵の説明も正確に翻訳されている。一方で、「dotpict public page」の英語版のガイドラインには投稿可能な絵についての説明や画像が抜けている。故意に省かれたとは考えづらいため、記述忘れとして理解することが望ましいが、英語圏のピクセルアートの受容者からすれば「dotpictの定義するピクセルアートおよびバイナリアート」の説明がガイドラインに記述されておらず、誤解や混乱を招くかもしれない。とはいえ「dotpict public page」は『Notion』というWebアプリを利用して公開されたページに過ぎず、現時点で「公式サイト」のようなサイトは運営されていない。修正に関してもされるかどうかは分からない。

*8:正確には、2020年2月頃に128x128以上のサイズが試験的に解放され、7月頃に条件付きでユーザーに解放された。ガイドラインは2019年12月に既存の利用規約から現在のガイドラインに変更され、この時にアプリ版の投稿画面の隣にガイドラインが設置された。2019年12月のガイドラインから2023年10月現在に至るまで変更が加えられている部分は、作品でない文字投稿の禁止とコメント欄への誘導の禁止を1つの項目に統合したのみで、他すべての記述に変更は加えられていない。

*9:「描き方」といった手法の違いによって、2つのスタイルの条件に当てはまりきらないピクセルアートがあるかもしれないが、これらの条件の“すべて”を満たさないピクセルアートを思い浮かべることは難しい。ただし、デジタル画像に限った話ではある。

*10:有名なピクセルアートの制作ツール

*11:ペンの形状を変えることも可能だが、最小サイズのペンで1つのグリッドのセルに小さな円を描くといったことはできない。基本的にどのピクセルアートの制作ツールにも「バケツ」といった塗りつぶし(Flood fill)機能が備わっているが、それらはアルゴリズムを利用したツールである。

*12:詳細はYianni YessiosのBinary Artなどで見ることができる。

*13:表記ゆれに「2値ペン絵」「二値ペン絵」「二値絵」が存在する。

*14:2値絵は2値ペン絵を略した言葉だが、前者の方が多少使用されるため、「2値絵」を採用する。

*15:彩色後の仕上げで再度アンチエイリアス処理を行う。原画がデジタルの2値ペンで描かれている場合、こうした工程は必要ないが、原画までの工程をアナログで行うところはまだ多い。

*16:マンガでは、原稿と原画はほとんど同一の意味である。

*17:2値ペンや2値ブラシ、アンチエイリアスなしペンと書く書き込みも見かけられるため、言葉自体は存在していた。

*18:Oekakiは「インターネット上でのイラスト描画」もしくは「お絵かき掲示板」で描かれるような作品のスタイルを意味するが、ここでは恐らく後者だろう。国内ではOekakiBBS(お絵かき掲示板)で描いたような絵を指して「オエビ絵」と略すことがあり、ここでのOekakiの用法とかなり似ているだろう。2値絵という言葉自体がオエビ絵を限定的に指すケースもあるが、Oekaki(あるいはオエビ絵)が2値絵を意味するわけではないことに注意が必要である。とはいえ、Oekaki vs pixel art、2値絵対ピクセルアートの対立はほとんど同一なものとみなしてもよさそうである。

*19:詳しくは「ドット絵アンチパターン」を参照。

*20:元のキャンバスに重ねる透明なキャンバス

*21:ぴーす本人は自身のサイトで「ピクセル絵」という言葉を一度使っている。

*22:制作論的な話ではない。

*23:RF出力では実質的に256x224

*24:最大で512x478の画面解像度を有すが、『ときめきメモリアル』の会話表示のグラフィックスなど限られた場面でしか使われなかった。

*25:1か月の利用で100円

*26:ニンテンドーDSiLLなどの一部ハードには『うごくメモ帳』が標準で内蔵されているが、ニンテンドーDSシリーズは生産終了されている。

*27:「悪神ゆうた」とはうごメモシアターのサービスが開始されて間もない頃、「11歳小五のゆうたに文句がある人だけ見て」というメモを投稿したユーザーである。https://www.nicovideo.jp/watch/sm5745319

*28:3D表示の場合、実質的には400×240になる。

*29:ここでは、基本的な機能が同じである後継作品の『RPGツクール2003』についてもRPGツクール2000として扱う。

*30:フルスクリーンに拡大表示することはできるが、解像度そのものを上げるためにはプラグインを導入する必要がある。

*31:現在は両作品とも公開が停止されている。

最近についてと方針といろいろ

あんまり自分を語ったり、展望をメモみたいに書いても仕方ないので、最低限の報告とか最近見たものを書く。たいした内容じゃないかも。

近況

3万5000字ちょっとの論文を書いた。といっても学位論文とかではなくて、軽い入試のために書いた一般論文みたいなの。10月の初頭にその入試を受けることを決めて、アイデア自体はあったので書き始めようと思った矢先に、高熱を出して2週間ほど寝込んでしまった。おそらく食事をおろそかにしていたせい。まあ自分の語りはいいとして、その後なんやかんやあって11月のはじめに書き終えた。

入試はこれからなのでまだ分からないけど、論文はこのブログに投稿すると思う。前々から書くと言ってたピクセルアート関係の話で、もともとは普通の記事として投稿する予定だった。というか、下書きにあった書きかけの記事を、かなり強引な形で論文にした。そのせいであんまりちゃんとした先行研究を踏まえてない。描写(depiction)の哲学者のカルヴィッキを参照しつつ書いたけど、そこの部分の理解が適切ではないかも。あと文章構成がまあまあ怪しく、ちゃんとした校正ができなかったため、たぶんかなりツッコミどころがある。とはいえ、もともとブログに投稿する予定だったので、そのまま載せるかブログ用に直すかをする。おそらく前者。

方針

なにかの同人誌に寄稿できればいいな、と漠然に考えているので、ブログで評論っぽい文章を複数個投稿してみる。ビデオゲームだけじゃなくて、ジャンルバラバラに書くかもしれない。時間が取れるのはたぶん12月以降。

ほか

ブルアカを「やっていることはRPGやSRPGに近い感じがする*1」と述べてるツイートを見かけたけど、その通りに思う。かなり初期からプレイしているけど、ブルアカはゲームとしてかなり綺麗に作られている。プレイヤーがロードマップを自覚しやすいとか、いろいろあると思う。少し前からブルアカのゲームデザイン論を書こうと考えてるけど、ただゲームデザイン部分に触れても面白くないので、うまくストーリーとかフィクションを交えて書きたい。そのためにではないけど、とりあえず「ストーリーとディスコース」を読んでから考えてみる。ゲームのメカニクスと物語とあといろいろが、ブルアカをゲームたらしめているのは確か。

ソシャゲシナリオ物語構造|アークナイツ - YouTube
こういう動画も見た。

『ELNOA エルノア』を現状公開されている1話までプレイした。たぶん3DのADVゲームに初めて触れた気がする。GPUのファンがめちゃめちゃ回転していたが、3DCGの良さはかなり出ている。完成まで気長に待ちたい。VRChatのアバターを販売して資金を集めつつ、ゲームを制作するという試み自体も結構面白い*2

寝込んでるあいだ、『アスタータタリクス』をインストールして始めた。戦闘システムとかに注目が行きがちだが、それ以外のところが結構面白い。「自由時間」とかメインストーリーを工夫して楽しめるのがうれしい。じゃあ肝心の戦闘システムというと、結構操作に手数がかかる。無駄な手数の多さがSRPGらしさと言われたら、まあ否定はできない(あまりSRPGを普段やらないから)。あとドット絵である必要性が特に感じれなかった(まあそこは割り切る必要があると思う)。ついでにメインストーリーがおそらくとんでもなく長いので、まだ途中。今度続きをプレイしてみる。

熱を出すくらいの時に、アニメ『ラストピリオド -終わりなき螺旋の物語-』を観た。かなり傑作。急に10話が、クロスオーバーの暴力性みたいなエピソードになるのはけっこう面食らった。シリーズ構成とか半分ほどの脚本は、『キルミーベイベー』の構成脚本の白根秀樹さんがやってるらしく、懐かしい感触がした。1~3話あたりまでだけでも観る価値があると思う。もしかしたら暇なとき、『ラストピリオド』についての話を改めて書くかも。